I would prefer not to
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木曜日には映画にいこうな。

映画見てきました。
「7月24日通りのクリスマス」。
友人にいわせると「変身モノ」とカテゴライゼーションされます。
中谷美紀めっちゃかわいかった…
舞台演劇臭い演出や台詞回しが、案外いい味出してたのかも。
ところどころ違和感を覚えた場所もありますが、いいのです。
中谷美紀がかわいかったから。
そのあと御影高杉でケーキ食いました。
実は僕は御影ならダニエルのほうがお勧めなのですが、
でも高杉だって美味しいことには間違いありません。
コーヒー飲み放題がポイント高いです。
荒れ気味の胃にパカパカ流し込んだら、
もう気分が悪い気分が悪い、おえ。
いえケーキもコーヒーも美味しいのですが、
問題は僕の不摂生。

さて。
アーノンクールの演奏会を聞いた感動を文章にしたい。
のですが、そんなことが書けるはずもなく。
いまどき古楽器演奏がどうの、ジェスマイヤー版がどうの、
そんなのは面白くも何ともないですしねぇ。
合唱団のうまさ、オケのうまさ、
何よりアーノンクールの溌剌とした、時には挑発的とも聞こえる音楽作り。
(ちょっと前までは「過激」だとか「異端児」と呼ばれていたそうな。)
最後の「quia pius es」が鳴り終わったときのあの残響と
凍りついたように動かないアーノンクール、
固唾を飲んでアーノンクールを見つめる聴衆、
あの一瞬は本当に忘れられない得がたい体験であったと思います。

御年78歳。
再来日はあるのでしょうか。
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by vanitas-vanitatum | 2006-11-25 12:03 | よしなしごと

モツレク。

半年くらい前から楽しみにしていたコンサートを聴きに行ってきました。
ニコラウス・アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる
モーツァルトのヴェスペレとレクイエム。
本当に最高でした。
カーテンコールがいつまでたっても終わらない。
5,6回は繰り返されて、団員がはけてからも半分近くの
客が帰るどころか舞台につめかけ拍手を続ける。
とうに終演のアナウンスがなったというのにアーノンクールは舞台へと出てきてくれました。

いや、こんな演奏会初めてです。
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by vanitas-vanitatum | 2006-11-19 21:20 | 音楽

最近週末は。

さて。

日記を更新しようとしても
ネタがないということは往々にして。
ネタがないなどということは実際にあるわけはなく、
それなりにこの一週間も僕は活動しておりました。
活動していたといってもいささか不活性な感は否めない。
どうも言語を介したコミュニケーションというものが
不足しがちな今日この頃であるような気がしますが、
これはこれで僕という人間の世間様とのかかわり方の
アレゴリーであるような気もしないではない。
先週の土日は人語を発する機会がほんとうに少なくて、
週明け出社すると発声するために必要な筋肉が
錆付いてるように感じたものなのですが、それでも一応外出は試みていて、
大阪は心斎橋の市立近代美術館(仮)に行ってきました。
なぜ(仮)かというと、いずれは美術館が建つはずで、
コレクションも集めてはいるのですが、
肝心のハコをの予算がつかない、大阪市ですからね。
そんなわけで(仮)がついているわけなのですが、
(仮)なだけあって普通のオフィスビルの最上階の、
2フロアを毎回毎回展示会場に当てているのですが、
これがなかなか面白い、というのもまず展覧会の名前の付け方が
茶目っ気にあふれていることが多いのです。
大体展覧会のネーミングセンスというのは
猫も杓子もなくて、(ルーブルしかりオルセーしかり)
それでいて妙に知的なアフォリズムっぽい副題がついていることが
おおいなぁということを経験則的に感じているのですが、
市立近代美術館(仮)のネーミングセンス、これは何となく面白いといおうか、
企画会議をしている段階で冗談半分にいいだしっぺが言った言葉を
そのままお題目に仕立て上げているような感がしないでもない。
こないだいった展覧会は「今度は現代美術!?」(なんだその!?は)、
そしてこのたびのお題目は「ニッポンVS.美術」(いいねそのニッポンが)。
ご挨拶に展覧会の趣旨がちょろちょろっと。
明治から現代にいたるまでニッポンの作家たちが、
海外の「美術」に触れてそれをどういう形で作風に反映させてきたか
その一端をお見せします、一概にニッポンの「美術」といっても
案外一筋縄では行きませんぜお兄さん、みたいな事が書いてありました。
岡倉点心だフェノロサだの名前が申し訳程度に書かれた明治期から、
大正デモクラシーの時代の女性画家の作品を数点(めっちゃかっこよかった)、
戦後のアバンギャルドなグループの一連のわけわかんない作品がずらっとならんで、
堂本印象とか言う人の抽象っぽい作品を見終わったところで別室へ移動。
別室は会田誠とか村上隆とかもう完全にコンテンポラリーの作家の作品ばかりでした。
名前も絵につけられてた名前も忘れてしまったけど、
面白いなって思った女性作家の作品をご紹介。
葉っぱや花や、猪や狐の毛皮を乾燥させてこなごなにして、
その粉を使って粉々にする前の葉っぱや花、猪や狐を書いた作品。
猪とか狐とか近づいてみると画布に毛が残っています。
妙に忠実なのが、乾燥させることも粉々にすることもできなかった
動物の中身部分(絵に出てくる部分は目ですね)が空白になっていたこと。
猪を狩ってさばいて乾燥させて粉々にしてその現場に立ち会って、絵という形で再構成する。
自分がかかわる現実をいかに再構成するか、というのは
表現者にとってきっと大きなテーマなのでしょうが、
この作家さんの取った手段は短絡的な気もしますが、
逆にその短絡的さが僕的に妙にツボでした、そんな展覧会。

一週間色々ありましたがあっという間に過ぎ去ってそして週末。
今度は中ノ島にある国立国際美術館に行ってきました。
最近美術館だとかそういうところに行くことが多いような気がします。
何でだろうなぁと考えてみましたが、
僕は最近週末を一人で過ごすことが多いのです。
そうなったときにありがちには部屋に閉じこもってしまうのですが、
自室という限定された空間にいると、なんだか自分も非常に限定されたような感じがしてきます。
することといったら音楽を聞くか本を読むか、それぐらいしかなくなるわけなのですが、
これはこれで自分が平衡状態に落ち着くのを実感することができてなかなかよろしい。
ただ、平衡状態におちつくそこにはコミュニケーションがない。
もちろん僕の精神が活性化している状態であればたとえ自室に閉じこもっていても
例えば今僕の机の上に乗っている、電池の切れた腕時計を眺めることから、
腕時計は本来秒針が常に動いていて、60回針のうしろのぜんまいの歯がかみ合うと
今度は短針が、60回動いて円を描くことを前提としたその一回分をかちりと動く、
それがとまっている今の状況は果たして時計にとっては時は止まっているのかどうかなどと
考え始めるであろうから、これはこれで時計と僕との間にコミュニケーションが
成り立っているかのように感じることもあるかもしれませんが、
まぁまずぼうっとしているだけでしょう。
まわりがモノばかりな状況で能動的にハイになるのもしんどいのですが、
これが展覧会に行くとそうでもなくなる。
基本的に展覧会に行ったとして人としゃべるわけではないのですが、
そこには作家たちが何かしら世界から、現実から入力された項目が、
彼彼女の内部構造の中で変換されて出力された結果に立ち会うことができるわけで、
その生成の過程が否応なしに僕にインプットされ、僕にとってはそれが契機となって
何らかの現実とのコミットがなされる、そんな気がしているのですが、
ようするに、僕にとって展覧会という場に満ち満ちているように感じられる
ノンバーバルなコミュニケーション正体を探ろうとしていたら
わけのわからない文章になってしまいました。
本当は美術館の、僕に対して持つアフォーダンスについて
理知的に文章にまとめていくつもりにしていたのですが。
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by vanitas-vanitatum | 2006-11-19 12:09 | よしなしごと

かんべんしてーー。

これは怖い。

あ、てかうちの会社やったら
そもそもホワイトカラーにたどり着くのすら大変かもw

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/849807.html

へこむ。
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by vanitas-vanitatum | 2006-11-12 23:31 | よしなしごと

夢のお話。

昔見た夢の話をしよう。
僕がごくごく幼い頃の夢だ。
まだ近しい人がそばにいないと眠りにつけない。
眠りが分化の恐怖と隣り合わせになっているような頃。
もはや今となっては本当に自分が見た夢なのか、
それともどこか別のところで触れた物語か区別がつけがたくなっている。
そんな頃の夢。

僕は夜中にふと目を覚ます。
壁際には洋服だんすがある。その隣には絵本で一杯の小さな本棚がある。
いつもと何も変わらない部屋だが、何かおかしい。
電気を消して寝ていたはずなのに、その部屋は妙にあかるい。
蛍光灯で照らされているよりもももっとのっぺりとした明るさだ。

…夜中に目が覚めた、と書いた。
果たして本当にそうだったのだろうか。
記憶の中にはその出来事が起こったのが夜中なのか昼間なのか、
それを確かめるための手がかりは一切残っていない。
そのぐらいの年頃の、ほかの記憶はまったく残っていないわけではない。
だがそれらの記憶には自分がいて、他人がいて、
ともあれ今から思い出すと3次元的な広がりをもっている。
だがその出来事だけはほかのどんな記憶との関連性も拒絶している。
そのため僕はその出来事を夢であったと思っているのだ。

僕は何とはなしに起き上がる。
尿意を催したとか、そういう身体的な要因に基づく目覚めではない。
あらゆる肉体的な感覚とは決別した、そんな記憶なのだ。
僕は扉を開ける。
僕の住んでいた家の廊下は狭い。
扉を開けてすぐ、そこには壁がある。
僕は扉と廊下の境目に立つ。
そこでたっている。

階段を上る音が聞こえる。
僕はただ立っているだけだ。
すぐに足音は階段を上りきる。
一般的な郊外に立つ家だ。上りきるまで時間はかからない。
足音は廊下をこちらにやってくる。立ち止まる。
そして僕は気がつく。
僕の真向かいに立ったその人が、僕自身であることを。

僕自身?
そのとき僕はそう認識した。
だが、その目鼻立ちは一切記憶していない。
どんな服装をしていたか。背格好はどのくらいか。
そういう具体的な記憶は一切残っていないのだ。
そのとき確かにその人が僕自身であることを認識した。
記憶に残っているのはそれだけ。

体と体がぴったりと重なり合う。
僕は僕に部屋の中に押し込まれた。
ここからは若干の身体的な記憶が残っている。
つき押されたというわけではないく、
たとえて言うなら生暖かい水流に押し流された感があった。
僕は何かをしゃべろうとした。
あるいは叫ぼうとしたのかもしれない。
だが僕ののどは一切の声を失っていた。
ただ呼気が咽喉をこすってゆく、そのかすれた音が聞こえるばかり。
そして、妙に低い笑い声が僕の耳元で沸き起こる。
くすぐったかった。

場面は変わる。
この場面が果たして先ほどまでの場面と連続しているか自信がない。
ただ、僕の構築された記憶のなかでは、
さっきの場面と今から語る光景は連続したとはいわないまでも
隣り合わせのものとして配置されれている。

僕は部屋の真中にたっている。
布団の上にたっている。
不意に後方の頭上の天井が崩れ落ちる。
僕は振り返る。
そうすると今度は右手の天井が崩れ落ちる。

誰かが耳元でささやいているのを覚えている。
次はそっち。つぎはここ。
自分がその声に任せて体を動かしていたかは覚えていない。
気が付いたらすっかり天井は崩れ去り、そこには青空が広がっていた。
青空?

いや、周りには何もない。
頭上ばかりではなく周りを取り囲むはずの壁や、
足元にあるはずの床、布団。
「何もなかった」。

別にどうということもない夢だ。
この夢を見た日から怖くて眠れなくなったとか、そういう事はなかったと思う。
何せ本当にそれが僕自身が見た夢なのかまったく自信がない。
ただ、ある時点に気がついたらこの一連の情景が頭の中に入っていたのだ。
小学生のときこれを思い出し、中学生のときにも何とはなしに思い出した。
高校生になって記憶の曖昧性を自覚するようになってからは、
ただこの夢を直接的に思い出すだけではなく、夢を思い出す小学生の頃の僕を、
夢を思い出す小学生の僕を思い出す中学生の僕を思い出すようになった。
今この文章を書いている僕は、もちろんもっと複雑な入れ子状の記憶をもてあそんでいる。

はたしてあの夢は本当に僕自身が見た夢なのだろうか。
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by vanitas-vanitatum | 2006-11-12 23:28 | よしなしごと

兵庫県立美術館。

10月22日。
朝のうちは澄み切った風が心地よい秋晴れ、
でも僕が外に出た昼過ぎにはいつの間にやら
重たげな雲が大阪湾を覆っていました。
この雲の塊が数日後東京以北の太平洋岸に嵐をもたらすのだが、
それはそれで別の話、にもなりません。
僕が兵庫県立美術館にいったのはそんな日でした。
特別展と称した内容は、「エコール・ド・パリ展-追憶と郷愁-」。
正直僕はフランス美術についてまったく明るくありません。
マネとモネってどっちがどっち?というようレベルです。
そんな僕がなぜわざわざ美術館に足を運んだかというと、
暇だったからといってしまってまず問題はないんです。
アブサンとシュールレアリスムと第一次世界大戦とフォーヴ。
そんな香りがする出し物がちょっと好きなってこともありますが。
旧居留地の神戸市立博物館で開催されている
オルセー美術館の客の多さに引いてしまって
こっちに流れてきたとかいうのは単なる噂です。
とりあえず諸般の事象が複雑に相互作用を起こした結果
僕はHAT神戸に足を踏み入れておりました。
HAT神戸、という地域を語るにはやはり阪神大震災という
ひとつの自然現象に言及しないでは済まされないでしょう。
大きな四角い商業施設やマンションが整然と立ち並ぶ光景は、
きっと人の自然な営為の結果生まれるものではないと思います。
まぁそんなことはどうでもよくて、ともかく兵庫県立美術館です。
まずその外観がよろしい。
そっけない四角い打ちっぱなしの建物なのだけれども、入り口が面白い。
建物に生じた亀裂のなかにわけいってく、という感じなのですが、
この「亀裂に分け入ってく感」がなんとも。
ちなみに空を見上げると新鮮な気分になれます。
企画もいい感じの物が多いんです。
僕の記憶している限りにおいては、あまりクラシカルではない。
どちらかというとわれわれの生きている時代と
同一平面における趣旨の企画が多いと思います。
そういや関西一円でおフランスものの企画が多いですね。
ナポレオンうんたらとか、藤田だとか、ルーブルだとか、オルセーだとか。
いやけちをつけているわけではなくて、切り口がたくさんあるっていいってこと。
ひとつのデータベースとしての「フランス美術」があって、
キーワード検索することによって色々な見方が参照できる。
「エコール・ド・パリ展」はあいまい検索の結果、てな感じ。
気が付きました。
展覧会の内容についてはまだ何も書いていませんね。
素敵な展覧会でした。
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by vanitas-vanitatum | 2006-11-05 19:43 | よしなしごと