I would prefer not to
by vanitas-vanitatum
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
全体
よしなしごと
音楽

VW
未分類
以前の記事
2011年 08月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 01月
2010年 11月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 05月
2008年 03月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月
2004年 10月
フォロー中のブログ
リンク
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:本( 66 )

「私が君に言いもしないことに反論しないでいただきたい」

「ガレッティ先生失言録」より。

18世紀の実在の教授の授業における失言を集めた本です。

そのほかにも。

「教師はつねに正しい。たとえまちがっているときであっても。」

「ホメロスが書いたのは、まだ文字がなかったと十分の根拠を持って断言できる時代である。」

「神は不死である。かかるがゆえに、死なない。」

「見えないので目で見ることの出来ない物体がある。」

「水は沸騰すると気体になる。凍ると立体になる。」

抱腹絶倒。



頭の中で考えていることは、正しい。

理路整然と美しい。

実際に言葉にしてみるとまぁ、なんてかたいがい支離滅裂。

コミュニケーション能力の不足っぷりってか、

そもそも言語化能力が根本的に不足しているような自分であるけど、

だからこそこの本を読んだときとりあえず安心して笑えるっていうか?



著者のガレッティ先生、今ほど各々の学問分野が専門特化していない、

百科全書的な時代を生きていた教授だそうです。

博覧強記でならしてる先生、ちょっとあれあれってな場面も多かったようで。

先生の死後、弟子たちがまとめたのが(ついでにちょっと捏造したり)

このガレッティ先生失言録。

肝心の学問的業績は今にはまったく伝わってないようです。

ま、そんなこたぁどうでもよい。

こんな失言録があまれるほど、先生みんなに愛されていたっぽい。

特に「授業風景」の項を読んでいると、こんな先生に教えられたいって思いますよ。

きっと。



池内紀の日本語訳はきっとまちがいなく絶品です。

さいごにお気に入りの失言を一つ。

「平行線の理論は自明の理というべきである。

なぜなら、論じても平行するのみで永遠に交わらない。」
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-09-19 20:18 |

アンジェラ・カーター「ワイズ・チルドレン。」

結構このところはまっていたりしまして、

色々語ってみようとするけれども、

なかなか文章を形に纏め上げられない

(ないしそういう言説で自己を制限してしまっている)

わけなのですが、まあそれはそうとして

語りの断片というか、これから

ちょっとした言説に成長してゆきそうな

(それはいつのことかはわかりませんが)

原型みたいなものをつかみかねているような、

そんな微妙な気持ちで3度目のテキストへの

アンガージュマンを試みてみようと思っていますが、

うわぁ、適当な文章だこれ。
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-09-10 22:03 |

高慢と偏見

いまさらながら読み始め。

これって19世紀的合コン小説なのね。
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-08-11 23:37 |

ヴォネガット。

「母なる夜」

「プレイヤーズ・ピアノ」

読了。

「Cat's Cradle」いまだにちくちくっと読んでます。

More
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-08-07 22:36 |

ナボコフのロリータ。


W先生、ついに翻訳を完成させたとの事。

(てか良いのかなこんな情報流してもて)

やーーーーー。

早く読みたいです。

More
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-07-30 23:23 |

「荊の城」

めちゃくちゃおもしろい!!!

って前評判を聞いてました。

去年ゼミでW先生もダントツでお勧めしてました。

そんなわけで読んでみました。

めちゃくちゃ面白かったです。

お勧めです。



スゥって言う女の子がケナゲでいいです。

「ワタシはケナゲな女の子が出てくる小説は大体許せてしまうんですが」

とはW先生の談。

「スゥは、スリ( fingersmith )なんですが、彼女がある計画にのって、

あるお姫様の侍女になるんですね。

古いお城で、遊び相手がいない女の子が二人、

これは”仲良く”なるのが当然でして…」



確かに仲良くなってます。

さすがビクトリア朝イギリス。



さて。

原題は、「Fingersmith」。

作者のサラ・ウォーターズ、見事な「fingersmith」の腕前です。

ね。

ディケンズ好きなら、思わずにやり。

作品の構造から、具体的な地名まで。



まわりにまわるロータス・ムンディ、フォルトゥーナ。



さてさて、真正面からビクトリア朝のピカレスクって感じのこの作品。

ついでっちゃついでなので(フォルトゥーナつながり。)          

エリザベス朝にポストモダンテイストを加えた作品を一つばかり。

ジャネット・ウィンターソン「さくらんぼの性は?」

いいっすよ。
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-07-23 22:11 |

グレアム・グリーン、21の短編。

W先生が翻訳陣の一角を占めていました。

グレアム・グリーン、「第3の男」の原作者として有名です。

「前世紀最大の作家の一人にして、短編小説の名手」

だ、そうです。あんまわからんけど。

Twenty-one Stories、ついTwice-told Talesを連想してしまいますが。

短編小説集って、誰のンでも妙に同じニュアンス、

匂いみたいなものを感じてしまいます。構造上そうならざるを得ないのかな。

それはともかく。

W先生は、エッセイの中で、レイ・ブラッドベリの「みずうみ」を引き合いにして、

グリーンの「無垢なるもの」を取り上げています。

ストレートにセンチメンタルなブラッドベリと、

皮肉が利いて、それだけにどこか物悲しさが胸を突くグリーン。

ブラッドベリ、アメリカ文学をかじった人なら、

一度はどっぷりとその世界に浸ってしまうSF作家なのですが。

グリーンに比べると、やはりブラッドベリは比較にならない気もします。

(ま、照れ隠しでそう言ってしまうところもあるんでしょうが。)

「照れ隠し」な部分まで見透かされているようなグリーンの短編は、

やはり秀逸だと思います。



ってかわけわかんねー文章だ、これ。

More
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-06-24 01:10 |

前日島。

通勤ラッシュに耐えて、ちまちまと読み上げました。

カルヴィーノにもいえることですが、エーコには不思議な軽さがあります。

扱っているテーマは、言語活動そのものともいえるわけで、

(エーコは記号学の大家)

まぁある種のはぐらかしといおうか、軽さに行き着かざるをえない?

絶えず転移し、変転する何とやら。



話の構造自体は、ありがちといえばありがち。

作者である人物が作品の主人公の手記を手に入れて、云々。

話がややこしくなってくるのは、作品の主人公が自分で小説を書き始める点。

わーメタフィクション。

メタフィクションのメタ?

そのまたメタ…ってな感じで延々と続きかねない、こういう分析はやめておいて。

(めっきがはがれてしまうので)



話の舞台はバロック時代です。

澁澤龍彦好きの僕としては、話にちりばめられたモチーフは馴染み深い。

驚異に満ちた迷宮としての世界!!

いいねぇ、意味もなく熱い。



ややこしいことを考えようとすると、何ぼでもドつぼにはまれる。

なのできっと前日島は、何も考えずにさくっと読み通すべき小説です。

めっちゃ面白いですから。

ってかきっと、小説の本来の読み方ってそうなんやろなー。

More
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-06-18 23:43 |

テイ・ゼロ。

書くネタがないわけではないけど、
めんどくさくてまとめる気がおきない今日この頃。
そんなわけで、
文章の断片をテキトーに箇条書き。

よくありがちな時間のモデルを3つほど。

   

   現在を起点に、未来に向かって樹形図的に発展する時間のイメージ。
                       (未来の可能性は無限だ、という奴。)

   現在は、過去が持っていた多くの可能性の、実現された一つに過ぎない。
                (現在が過去に内包される、入れ子型のイメージ。)

   過去の任意の2点を選んで、線分を引いてみた結果生じる直線的時間。
                                    (運命論的?)


1つ目は当然ながら論外として、
個人的に好きなのは、3つ目。
2つ目の、未分化へと向かうイメージも魅力的だけど。

カルヴィーノの、「テイ・ゼロ」を読んで思った事にしては頭悪げ。


エーコの「前日島」と、ヴォネガットの「Cat’ Cradle」併読中。
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-06-04 21:58 |

「宿命の交わる城。」

アナグラム、をご存知だろうか。
例えば、evil はアナグラムによってliveとなる。

僕が敬愛する作家の一人であるマルグリット・ユルスナール、その筆名もアナグラムによって生まれた。彼女の本名は、クレイヤンクール。Crayencour。このスペルを組み替えると、Yourcenarの筆名となる。cが一文字足りないが、それはまぁご愛嬌。

つまるところアナグラムとは、言葉遊びの一種である。我々に与えられている、ある言葉がある。それを分解して、再構築して、願わくばまったく別の意味合いを持つ言葉に組み替えてみよう。

ウンベルト・エーコが「フーコーの振り子」で、アルファベットの替わりにアナグラムに用いた一単位は、歴史上の出来事であるといえるかもしれない。彼は、歴史上の出来事をパズルのように読み替えることによって、個々の人間の活動の集大成であり、それ自体は何も語りはしない歴史をして、偽りの物語を語らしめた。

僕は自らの人生を振り返るとき、それを物語として捉えることができる。一つ一つは何の意味も持ちはしない各々の事象がある配列に並び、そしてそれは僕という個人の物語になる。さて、この各々の事象を読み替える、(組み替える、ではない)ことによって、そこに全く別のある個人の物語を読み取ることは果たして可能であろうか?

ま、これは単なる戯言。

我々が語るとき、それはすべて失われてしまったものについてである。我々は、決して事物そのものをそのものとして語ることはできない。我々にできることはただ、言葉を組み替えることによって、ある事象を標示するのみである。まるで、森深い城の中に集う、言葉を失った会食者たちのように。言葉を失った彼らにできることは、テーブルの上に散らばった78枚のタロット・カードを並べ替え、自らの物語をカードの配列のうちに語らせるのみである。

イタロ・カルヴィーノは、ただタロット・カードを組み替えることによって、例えば道化をつれたブリテン王の、エルシノアの王子の、あるいはスコットランドの簒奪者の物語を標示しただけではない。四辺形の形を成す78枚のカードは、上から下へ、下から上へ、左から右へ、右から左へと読むたびに、違う物語が読み取れるように配置されてゆく。このアクロバテッィクな大技を成功させてしまっているところが、カルヴィーノが文学の魔術師と称されるゆえんである。

宿命の交わる城に集う言葉を失った会食者たち。これは、この世界にひしめく我々の最大公約数的な姿である。我々に共通して与えられている道具は、タロット・カードよりも幾分素数に近いといえる言葉であり、我々はそれを配列することによって自らの物語を他の人のそれと交わらせている。ただ、我々に語りうる、結末によって閉ざされた物語など存在していないといえるし、この世界は森深い古城と比べるには、あまりにも広大である。

ここで、B・S・ジョンソンという作家を紹介しよう、といっても僕も大学時代の先生が言及しているのを小耳に挟んだだけの作家である。彼の作品の中に「不運な人々」という作品がある。それは、27枚のカードからなる作品で、読み手が恣意的に、最初のものと最後のものを除いたカードを並び替えることができるものだそうだ。ここで言及しなければならないのは、カードを並び替えるたびにそこに新たな物語が生まれる、そういう文学的な実験を試みた作品ではない、という事実である。読者は、ただ一人の友人の死を、そしてその背後にいる無数の不運な人々の、ひっそりとした死をいたむことしか許されていない。

我々には25の階乗通りのカードの読み方が許されている。しかし我々の体験は、一通りだけしかない。

More
[PR]
by vanitas-vanitatum | 2005-04-30 23:03 |