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カテゴリ:本( 66 )

久々に。

お久しぶりです。えぇ生きてますとも限りなく低空飛行で。
さて、こんなネタを見つけました。

BookLamp.org

ベータ版のサービスです。
どんなものかといいますと。

書籍の内容をパターン分析して、データベース化する。
ほんでもってこのパターンに類似する書籍をリコメンドする。

このパターン分析ですが、

pacing 一文のテンポ
density 文法の複雑さ
action アクション
description 描写の多さ
dialog 会話の多さ

以上の5つを数値化しているようです。
見てのとおり「コンテンツ」をパターン化しているというよりは、
「文体」をパターン化している。

アマゾンのリコメンドの機能が蓄積された消費者行動の
フィードバックであるのに対して、このサービスは
読者の身体的な反応のデータベースであるといえるかもしれません。

ある本の「読みやすさ」はその本の文体に依存している部分が大きい。
ならお気に入りの本に「類似した」文体の本なら、
きっと自分にとって「読みやすい」にちがいない。

ま、一概にそうともいえませんが。

似たようなことをラノベでやったらどないなんでしょうね。
パターン化の軸をキャラに設定する必要はありそうですが。
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by vanitas-vanitatum | 2008-03-18 23:22 |

最近。

読書録をそろそろ。
GRANTAをちょくちょく読み始めている。
Monica Aliの"The Dinner with Dr. Azad"とりあえず読了。
正直あまり面白くなかった。何で選ばれたんだろう。
英語の文章で、微妙な表現とか言い回しだとかを
感じ取る力が、あるいは僕には不足しているのかもしれない。
でも何とはなしに作者が念頭に置いたテーマ、
(フェミニズムだとかポストコロニアリズムだとか…)
それら透けて見えすぎる様に感じ、そこらあたりに興をそがれた。
とはいいながらも冒頭の"Tattoo lady"の
なんともいえない存在感は最後までついて回る。
彼女の存在を最初に持ってきたことで、
何か作品全体の「様式」が少し揺さぶられ、
多少なりとも「味のある」短編に
仕立てあがっているのかもしれない。
きちんと英語の文章が読める人が読めば、
もっとこの小説にも面白みを見出せるんだろうなぁ…

さて。立て続けにアニメを見てしまった。
新しいパソコンを買ったのですよ、えぇ。
今までのパソコンは音でない、DVD見れないで、
何のためにおいてあったのか
いまいちわからんような代物だったのですが。
いや、最近のパソコンはええのぉ。
とりあえずハルヒ(地元ネタでうれしい)→
デモンベイン(ネクロノミコンの萌えキャラ化に吹いた)
→ローゼンメイデン(ハンス・ベルメール好きです)、てな感じに駆け足で。
ヲタ化は深く、着実に進行しとります。
誰か助けてください!!

そんな中、柄谷行人「意味という病」読了。
柄谷自身も述べているように、ここに収められた評論は、
基本的に冒頭の「マクベス論」のバリエーションとなっている。
そして「マクベス論」はこの評論集の白眉だとは思う。
柄谷の思考の形は、ある種の強靭な意志の骨ぐみに支えられている。
もうへへぇぇって感じです。
個人的にふと思ったことがひとつ…あまり批評を読まない人間なので、
こういう比較をすることで赤っ恥をさらしてしまうかもしれないが、
柄谷と内田樹の方法論には、非常に似通ったものを感じた。
なんてことを考えているうちに「ユダヤ文化論」にて
内田が小林秀雄賞受賞とのこと。

ほんでもって、ポール・オースター「シティ・オブ・グラス」と「鍵のかかった部屋」。
友人が一人、熱狂的にオースターを支持しているが、まぁ確かに面白い。
ただあまりに実存という問題を、
明示的な文章のうちにさらしてしまっているのが、なんだかなぁ…
僕は彼と同時代の作家なら、ミルハウザーのほうが好きです。

そして昨日、思わぬ収穫を得ました。
「ヘビトンボの季節に自殺した5人姉妹」っていう小説。
存在自体は前々から知っていたし、
ソフィア・コッポラが映画化してるっていうのも知ってたけど、
あまりにあまりな雰囲気に敬遠していたわけなのだが、いやいやなかなかに。
基本的に一人称の語りで物語りは進んでゆくわけだが、
最後までこの"I"の姿は明示的に示されない。ここが結構いいところだと思う。
解説を書いているのはアヴァン・ポップの巽孝之、さもありなん。
ちりばめられた4~50代の平均的アメリカ人の青春群像、
これはきっと日本のおやぢたちも大いに共感できるものではないだろうか。
ちなみにわが親父はこの時代に沸き起こってきた、
例えばプログレッシブなどに違和感を感じ、
少しづつポップカルチャーから背をそむけていったそうな。
物語は5人姉妹の末っ子セシリアの自殺で始まり、
残りの4人の一斉の自殺で幕を閉じる。
巽孝之は衰退して分解してゆくアメリカ社会にあって、
「預言的な語り口をもった」作品と紹介している。
いかにもこれはポップ・カルチャーと時代意識をつなげて味わうという、
ありがちな紹介だとは思いながらも、それが正しいことには全面的に同意する。
aestheticsのかけらがないところがどうにも気に入りました。

今はガルシア・マルケス読んでます。

マジック・リアリズムという言葉があります。
ありそうもない、起こり得そうもないことを
リアリズムの筆致で淡々と描く、
まぁマルケスのために作られたような言葉なわけだが、
それについての南米側の反応が面白い。
「マジック・レアリズムといったとき、きっと普通の読み手は
『マジック』のニュアンスに重きを置くだろう。
だが、ラテン・アメリカにおいてはむしろ魔術的な現実こそが
現実に他ならないのだ」、みたいなコメントだったような。
あれですね。
柄谷読んだ後にマルケス読むといいですね。
夢の中の現実こそ真にリアリズムを帯びた現実に他ならない。
マルケスの奇妙に手触りのはっきりとした神話世界を読み解くのに、
「意味という病」ほど格好のテキストはないように思います。
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by vanitas-vanitatum | 2007-09-04 07:31 |

GRANTA。

GRANTA 71 "Young British Novelists 2003"には20人の作家が選出されている。
もともとトップバッターに据えられているサラ・ウォーターズの短編が読みたかっただけなのだが、このたびデイビット・ミッチェルの名前を見つけて早速読んでみて、これがやはり面白かったわけ。そんなわけでもうちょっとこの短編集と真剣に付き合ってみようと思う。10年に一度あまれるこの"Young British" シリーズに選出されることは、おそらく小説家にとって相当なステータスになるだろうことは想像に難くない。10年前、20年前のラインナップを眺めても、そうそうたる大御所の名前が延々と連なっているのだ。編集者のイアン・ジャックによると、出版社やエージェントから推薦のあった、139人の「40歳未満」の小説家の中から20人の粒よりを選出したとのこと。20人の小説家を選出するのは、これは相当大変だったに違いなく、イントロはひたすらその苦労話が書き連ねられている。一人一人の選出の理由まではかかれてはいないが、やはりサラ・ウォーターズは別格みたいで、「だっておもしろいんだもん!!」とでもいうような理由付けに見える。それはそうと同じような企画を日本でぶち上げてみたらどんな感じになるのだろうか。あるのかもしれないが寡聞にして僕はその存在を知りません。知ってたら教えて。ジャンルを純文学に固定してしまったら相当面白くないことになってしまうに違いない。"Young British"に選出された作家のうち、6割が"Oxbridge"(オックスフォード、ケンブリッジ)出身とのこと。なんていうか正しい意味で学歴社会な感じがする。日本でいうと早慶出身が文学賞総なめ、みたいな。編集者もこの点は、フェアじゃないかもってけっこう意識してて、選考委員のOxbridgeの割合はかつてより半減してるから、後輩がかわいいってわけじゃないのです、ごめんやけどゆるしてちょ、てな感じ。3割弱が、イングランド出身ではない作家、そして、いかにも現代イギリス文壇だなぁと思ったのは、移民二世の作家の割合が25%を占める点。かつての帝国の遺産がこんなところに。日本だったらなかなかそうはいかないかも。「アイヌ的」、「沖縄的」あるいは「在日的」文学が目に見える形で文壇の「今」を代表する、なんて形にはなかなかならないだろう。ポスコロなんて言葉が出来上がってから随分経つとは思うのだけれども。とまれ、"Young American Novelists 2007"が出ていたのを思い出し、発注をかけてみました。僕的には"Young American"といわれたら、パワーズ、エリクソン、ミルハウザー、ダイベックなんていかにも柴田元幸若島正な感じのラインナップが思い浮かびますが、そんな感じではどうもない模様。楽しみにしてみます。
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by vanitas-vanitatum | 2007-08-23 07:41 |

January Man。

久々のブログ更新です。
あつくてやる気なくてmixiでだらだらと日記ばかり書いておりました。

どこぞの本屋さんの洋書セールでジャケ買いした、
Grantaの”Best of Young British Novelists 2003”をぼんやりと眺める。
グランタという出版社の編集方針はなかなか面白くて、
何か一つのテーマを決めて、それに沿った小説群をピックアップしてゆく。
日本だとちょっと前に筑摩とか国書刊行会がやっていたような。

"Best of Young British ~"のシリーズはなかなか骨太のようで、
1983年版には、イアン・マキューアン、マーティン・エイミス、ジュリアン・バーンズ、
サルマン・ラシュディ、グラハム・スウィフト、カズオ・イシグロ…
なんて名前がずらっと並ぶ。読んだこともない作家も、
どっかで名前は聞いたことがある人ばっかり。

さて以前はその中にサラ・ウォーターズの名前を見つけたわけなんだが、
今回は改めてデイヴィット・ミッチェルの名前を発見した。
そうそう、ナンバー9ドリームの広島在住だっけ、の作家さんです。

ナンバー9ドリーム読んだ時はあの独特のドライブ感のある訳文からつむぎだされる、
シュルレアリスム絵画のような東京像に結構病み付きになった。
(はい、東京住んでみたいですちょっと。)
都会のパラノイア的な悪夢を呼び覚ます文章ということで、
すぐに思いつくのはトマス・ピンチョンなんて人の文章なわけですが。
January Manを読み終わってこれはピンチョンとは違うなぁ、と改めておもいました。

訳文の独特の感触は、原文のもつドライブ感を結構忠実に再現したものみたいです。
主人公の家族との関わり方、子供同士の関係と、最後に出てくる老婆。
ちょっとディケンズの幻視の系譜に連なる人なんだろうな。
ゴシック的な視点でナンバー9ドリームを再読すると面白いかもしんない。

ちなみにGRANTAのページで無料公開されてましたよ、この小説。
http://www.granta.com/extracts/1959

興味ある人はぜひ。
では、また。
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by vanitas-vanitatum | 2007-08-15 12:42 |

消失点の一致。

読書というのは結構時間を食うものです。
2時間、3時間、下手したらもっともっと一つの本とにらめっこ。

好きなタイプの本があります。

本を読みおわったそのときに、物語がほどけて終わってゆく小説。
典型的にはガルシア・マルケスの「百年の孤独」でしょう。
マコンドとブエンディア一族の物語が、あれよあれよという間に
読者の読む「百年の孤独」という一冊の本に折りたたまれてゆく。
もうはじめて読んだときには、ラストシーンの鮮やかさに度肝を抜かれてしまいました。

そんな感じに素敵な読後感の小説を読みました。
スティーブン・ミルハウザーの「フランクリン・ペインの小さな王国」。
白水Uブックの「3つの小さな王国」の中の中篇です。訳者は柴田元幸。

上記のような、一種のカタルシスを感じるような条件には、
ラストにいたるまでの物語が長ったらしいことも
一つの条件にあるのでは、と感じます。
いや、誤解を受けそうです。計量的に長い必要はないかな。
読書をしているときには、時計の針が進んでいる時間と、
読者が主観的に感じる時間がもちろんあるわけなのですが、
たぶんこの主観的な時間が大いに関係ある。

「百年の孤独」は、池澤夏樹がフラクタルといったように、
マコンドをめぐるおおきな物語の中に、
無数の縮小されたサブプロットが詰め込まれています。
(ブエンディア達の孤独を物語る、いずれも同じ構造の物語です。
 ので、フラクタル、でよいのかな。)
その無数のサブプロットを僕達読者はひたすら読み続けるわけです。
もうそれこそ何時間も何時間も。

この意味で「フランクリン・ペインの小さな王国」も近しいものを感じました。
計量的には百年の孤独の数分の一の量だとはおもいますが、
物語の内的時間の圧縮率は決して引けをとりません。
ミルハウザーの特性はディーテールの書き込みでしょう。
その結果生まれてきた小説は、それこそ、
もっと直接的にフラクタルといってやってしまってかまわないかもしれない。
微細な書き込みを連ねて、さて終盤。

ふと、語りが「ほどけてゆく」。
あぁそろそろこの小説も終わりに近いに違いない、と読者は感じます。
この長く感じた読書の時間もそろそろ終わりに近づいてきています。
微細に書き込まれた物語と自分の読書時間を鳥瞰的に眺めたときに、
その二つの消失点が一致していることに気がついて、
これだこれ、うまいなぁ、してやられたなぁ、と大きくため息をつくわけなのです。

幸せ。
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by vanitas-vanitatum | 2007-07-31 22:14 |

ヤサシイワタシ。

知り合いのうちでなんとなく手に取った漫画。
「いきなりそれ行くか~」とのこと。

大人買いしました。
読んでみました。
面白かった。けど。

…そこでこうくるか!!をいをい。

確かに「いきなり」「それ」ですわ。はっはっは。
そうそう。その知り合いに教えてもらった、「世界で最も売れてる文芸誌」。
「最小説」。
中国の文芸雑誌です。月間で50万部売れているそうな。
もうその数だけで経済的な意味合い、文化的な意味合いで
強烈な勢力圏を形成しているとおもってよいでしょう。

今日、Current Awarenessという、NDLが運営している
図書館業界誌に、中国のインターネット人口の情報を引用していました。

ざっと1億3700万人だそうです。
http://www.dap.ndl.go.jp/ca/modules/car/index.php?p=3853

この人数がいわゆる文化的なリソースにアクセス出来うる潜在的な中国人口とすると、
このうちの50万部という売れ行きは驚異的であるとおもいます。
日本の人口が1億2000万人だったっけ?
それで、もっとも売れてる文芸雑誌ってどんなものなんでしょうか、教えて書店員!!

ともあれ東アジア出版文化圏の10年後を考えると、
あるいは日本は非常にローカルな発信地でしかなくなる可能性は、大いにありえます。
まぁ数百年前のことを考えるとそれもそれで身の丈にあってるといえば確かにそうですね。

ともあれ「書店員だったら最小説の名前ぐらいは覚えておけ」て。
確かにそうです。覚えておきます。
(なんだかおしゃれアニメな感じのイラストで覆われた雑誌でした)。

読書録。

エリクソン「黒い時計の旅」
ベンヤミン「複製技術時代の芸術」
大塚英氏「キャラクター小説の作り方」
阿部和重「グランド・フィナーレ」

複製技術時代の芸術、面白かった。
美学はファシズムをいかに克服するか、
みたいな問題提起を何処かで見たことがあるような気がしますが。

そうそう、小川信治の「アジェ・プロジェクト」の
「アジェ」が写真家だったって始めて知りました。
やはり現代美術を見るためには相応のリテラシーが必要なのですね…
もっともっと努力せな。

そしてトニ・モリソン読んでます。
なんてぇか痛々しいアウラが出てるよ。
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by vanitas-vanitatum | 2007-07-23 22:38 |

否定神学の系譜。

ローゼンメイデン8巻なにあれ。薄すぎでしょう。
わかっちゃいるけど買っちゃったたよ兄さん。
ていうかラプラスの魔ってえらい便利なキャラだな。

少し前の本ですが、北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』読了。
もともと批評には積極的に手を出す人間ではないが、
「批評的な視座」の獲得には憧れを抱いてはいる。
そんなこと性分ではないのはわかりきってはいるのだが、何か格好いいじゃないですか。
批評を読みたくなるときは大概きまっている。
自分の蓄積してきた人生経験が何となくおもっ苦しく感じたてきたとき、
いつでも思わず批評本を手にとっている。
ある種の批評というものは、僕にとっては一種のナラティブ・セラピーなのです。

本は記号の羅列である。
本を読むという行為は、記号を個人の経験を通じて身体に還元するということ。
もちろんこの「経験」には読書体験も含まれており、
ある本を読むということは別の本を読んだ経験を通して読むということである。
とまぁこんな感じに「読む」という行為そのものに言及すると、
今の僕の思考はひどくありがちな出口のない入れ子構造に陥ってしまう。
こういう「メタ」な視点からとりあえず離れてみよう。
実は「経験」は僕個人にとって「ブラックボックス」であると感じている。
本と「僕自身」の間には「経験」という言語化できない(わけのわかんない)隔たりがある。
このブラックボックスを何とかしないと、
「素直な読書体験」はできなさそうにも思えてくるのだが、
それはそれとして横に置いておくことにします。終了。

本を読んだ、その結果経験を通じて記号が身体性を獲得して、
僕自身のステータスが変化する。
たまさかそれはつまらへん、よーわからんといった感情で表象されることもあれば、
なんだか僕自身のステータスの深いところを揺さぶられるようなこともある。
「うわこの本、この物語、僕のこと書いてるんとちゃうん?」みたいな感情。
ともあれ、これを感じた時にはあのよくわからない「経験」の闇が吹き払われる。
ちょっとだけですが、読んだ文章に贖われるように「経験」が僕自身の「物語」と化す。
誰かが書いたフォーマットにしたがってしか自分自身の物語は再構成されない。

なにこのよくわかる現代魔法(読んでないけど)。

自分の言葉で経験=自分を語ることができない、
そんな僕は読書することによってでしか収支をつけることができない。
これではどうあがいたってあの主体性とやらを獲得することは難しいわけだが、
とりあえず『嗤う日本の「ナショナリズム」』に話を戻してみる。
2ちゃんねるの一部のテキストにみられるものの感じ方の構造を、
歴史的な視点から読み解いていったていう否定神学の系譜。
一部の人々の「どうしてこんな場所にきてしまったんだ?」という叫びにしたがって、
著者は60年代を、70年代を、80年代を再現してゆく。
赤軍、糸井重里、「ギョーカイ人達」を依代に「時代精神」を降霊させてゆく。
その時代精神の、なんというか絶望的なまでの脱力感。
結局この40年間まぁいって見ればサブカルチャーが志向してきたものは何も変わらず、
その行動の様式的手続きが分析対象としては複雑化しただけ。
ほんと、なんでこんな場所にきてしまったんだろう。
いや来てしまったのは僕自身であるはずなのだけれども。

いきなり個人のレベルに視点を落とし込んでいます。
難儀だなぁ…
> 実は「経験」は僕個人にとって「ブラックボックス」であると感じている。
きっとこの辺を何とかせなあかんのでしょうね。

そうそう。La Pierre Blancheの板チョコ購入。税込840円也。
いわゆる70パーセントのハイカカオのチョコレートだったわけだが、
さすが神戸のショコラティエのファンタジスタ(勝手に呼んでます)、
なんていうか、滑らかでまったりとしてて、ちっともとんがった雰囲気が無い。
チョコレートが発酵食品であることを思い出させてくれるような魅惑的な味でした。
最近チロルチョコの「塩バニラ」も好きですが。

『嗤う日本の「ナショナリズム」』、ちょっとウルフの「オーランドー」っぽかった。
いやこれは単なる色眼鏡。

「もやしもん」最近蛍がお気に入りです。ゴスロリバンザイ。
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by vanitas-vanitatum | 2007-06-24 05:36 |

囚人のジレンマ。

「囚人のジレンマ」読了。
世界中が立ちすくんだとき、あなたならどうする。

リチャード・パワーズ最新の訳本を手にとって、
たっぷり一週間かかって読了しました。

もういまさらメタフィクションがどうこういってもね。
何がすごいってパワーズの「語りつくそう」とするスタンス。

次の黄金虫はいつ訳されるのかな。
原書で読めたらなぁ…
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by vanitas-vanitatum | 2007-06-13 23:07 |

The Sound and the Fury。

響きと怒り読了しました。
岩波文庫の新版は、懇切丁寧でした。
巻末のフォークナー自身による
「付録・コンプソン一族」があって
はじめてわかることがちょいちょい。

全部で4章仕立てです。

1章、末弟であるベンジーのナラティブ。
2章、長男のクエンティンのナラティブ。
3章、次兄ジェイソンのナラティブ。
4章、3人称の語り。

曲者は1、2章。とりわけ断然1章です。
なにせベンジーはいわゆる発達障害、
端的に言うと白痴なのです。
フォークナーの描写はただでさえ
アクロバティックに写実的で、
「何が起こっているのか」を解読するのがむっかしい。
(邦訳で読んでもぶっちぎりわけわかんないっす)
ましてや認知の主体が白痴ともなれば。
さらに1章、2章ともに共通する特徴があります。

The time is out of joint.

ようするに、登場人物が線形な時間感覚を持っていない。
まぁ「意識の流れ」という手法自体が、
我が愛するダロウェイ夫人を見てのように、
軽やかに時制を超える語りを信条としているわけなのですが、
それにしたって限度があるってもんでしょう。

意識の水面に浮かび上がってははじける
泡沫のような認知から現実をいかに再構成するか。

懇切丁寧な岩波版は、巻末に再構成された
出来事一覧表をのっけてくれているので、
僕はいわばカンニングしながら
フォークナーのテキストにあたった訳なのです。


この1週間風邪でおなかを壊してしまい、
活動限界突破な状況で仕事してました。
ほとんど6時ぴったりに退社できたので、
逆に睡眠時間はたっぷりとれました。
なので今日は元気元気!です。


ネットで「パイレーツ・オブ・カリビアン:ワールズ・エンド」見てたわけなのですが、
パソコンのスペックが追いつかず途中でエラーが出てしまって悲しいことこの上なくて、
おもわずらき☆すた見た自分の最近のヲタ化が加速してるような気がしてなりません。

最近「ゼロ年代」と称されている作家の作品を素直に面白いと思うようになりました。
昨晩は佐藤友哉「水没ピアノ~鏡創二がひきもどす犯罪~」読みました。
「フリッカー式」からはじめる、サリンジャーのグラス・サーガに想を得たらしい
「鏡家サーガ」の第3作なわけですが、感動、じゃないな、打ちのめされてしまいました。
まったくことなる3つの物語が同時並行的に語られてゆき…最後に訪れるカタルシス。
小説なんて加速するモダン~ポストモダン小説郡で使い尽くされてしまっている。
それを痛いほど自覚しながらもなお小説を書こうとする作家には
あこがれ以上の何かを感じてしまいます。


佐藤友哉、おそまきながらオススメです。是非に。


リチャード・パワーズ「囚人のジレンマ」読み方、はじめ。
原書かって30ページ読むのに2週間かかってあきらめたところの刊行でした。

新しいスニーカーが欲しいので買い物に行ってきます。
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by vanitas-vanitatum | 2007-06-09 12:47 |

佐藤友哉。

「フリッカー式」「エナメルを塗った魂の比重」ともに面白かった。両方とも最後のカタルシスがいい。

ラノベいいなぁ…
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by vanitas-vanitatum | 2007-06-03 20:01 |