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最近。

読書録をそろそろ。
GRANTAをちょくちょく読み始めている。
Monica Aliの"The Dinner with Dr. Azad"とりあえず読了。
正直あまり面白くなかった。何で選ばれたんだろう。
英語の文章で、微妙な表現とか言い回しだとかを
感じ取る力が、あるいは僕には不足しているのかもしれない。
でも何とはなしに作者が念頭に置いたテーマ、
(フェミニズムだとかポストコロニアリズムだとか…)
それら透けて見えすぎる様に感じ、そこらあたりに興をそがれた。
とはいいながらも冒頭の"Tattoo lady"の
なんともいえない存在感は最後までついて回る。
彼女の存在を最初に持ってきたことで、
何か作品全体の「様式」が少し揺さぶられ、
多少なりとも「味のある」短編に
仕立てあがっているのかもしれない。
きちんと英語の文章が読める人が読めば、
もっとこの小説にも面白みを見出せるんだろうなぁ…

さて。立て続けにアニメを見てしまった。
新しいパソコンを買ったのですよ、えぇ。
今までのパソコンは音でない、DVD見れないで、
何のためにおいてあったのか
いまいちわからんような代物だったのですが。
いや、最近のパソコンはええのぉ。
とりあえずハルヒ(地元ネタでうれしい)→
デモンベイン(ネクロノミコンの萌えキャラ化に吹いた)
→ローゼンメイデン(ハンス・ベルメール好きです)、てな感じに駆け足で。
ヲタ化は深く、着実に進行しとります。
誰か助けてください!!

そんな中、柄谷行人「意味という病」読了。
柄谷自身も述べているように、ここに収められた評論は、
基本的に冒頭の「マクベス論」のバリエーションとなっている。
そして「マクベス論」はこの評論集の白眉だとは思う。
柄谷の思考の形は、ある種の強靭な意志の骨ぐみに支えられている。
もうへへぇぇって感じです。
個人的にふと思ったことがひとつ…あまり批評を読まない人間なので、
こういう比較をすることで赤っ恥をさらしてしまうかもしれないが、
柄谷と内田樹の方法論には、非常に似通ったものを感じた。
なんてことを考えているうちに「ユダヤ文化論」にて
内田が小林秀雄賞受賞とのこと。

ほんでもって、ポール・オースター「シティ・オブ・グラス」と「鍵のかかった部屋」。
友人が一人、熱狂的にオースターを支持しているが、まぁ確かに面白い。
ただあまりに実存という問題を、
明示的な文章のうちにさらしてしまっているのが、なんだかなぁ…
僕は彼と同時代の作家なら、ミルハウザーのほうが好きです。

そして昨日、思わぬ収穫を得ました。
「ヘビトンボの季節に自殺した5人姉妹」っていう小説。
存在自体は前々から知っていたし、
ソフィア・コッポラが映画化してるっていうのも知ってたけど、
あまりにあまりな雰囲気に敬遠していたわけなのだが、いやいやなかなかに。
基本的に一人称の語りで物語りは進んでゆくわけだが、
最後までこの"I"の姿は明示的に示されない。ここが結構いいところだと思う。
解説を書いているのはアヴァン・ポップの巽孝之、さもありなん。
ちりばめられた4~50代の平均的アメリカ人の青春群像、
これはきっと日本のおやぢたちも大いに共感できるものではないだろうか。
ちなみにわが親父はこの時代に沸き起こってきた、
例えばプログレッシブなどに違和感を感じ、
少しづつポップカルチャーから背をそむけていったそうな。
物語は5人姉妹の末っ子セシリアの自殺で始まり、
残りの4人の一斉の自殺で幕を閉じる。
巽孝之は衰退して分解してゆくアメリカ社会にあって、
「預言的な語り口をもった」作品と紹介している。
いかにもこれはポップ・カルチャーと時代意識をつなげて味わうという、
ありがちな紹介だとは思いながらも、それが正しいことには全面的に同意する。
aestheticsのかけらがないところがどうにも気に入りました。

今はガルシア・マルケス読んでます。

マジック・リアリズムという言葉があります。
ありそうもない、起こり得そうもないことを
リアリズムの筆致で淡々と描く、
まぁマルケスのために作られたような言葉なわけだが、
それについての南米側の反応が面白い。
「マジック・レアリズムといったとき、きっと普通の読み手は
『マジック』のニュアンスに重きを置くだろう。
だが、ラテン・アメリカにおいてはむしろ魔術的な現実こそが
現実に他ならないのだ」、みたいなコメントだったような。
あれですね。
柄谷読んだ後にマルケス読むといいですね。
夢の中の現実こそ真にリアリズムを帯びた現実に他ならない。
マルケスの奇妙に手触りのはっきりとした神話世界を読み解くのに、
「意味という病」ほど格好のテキストはないように思います。
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by vanitas-vanitatum | 2007-09-04 07:31 |
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