I would prefer not to
by vanitas-vanitatum
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最近週末は。

さて。

日記を更新しようとしても
ネタがないということは往々にして。
ネタがないなどということは実際にあるわけはなく、
それなりにこの一週間も僕は活動しておりました。
活動していたといってもいささか不活性な感は否めない。
どうも言語を介したコミュニケーションというものが
不足しがちな今日この頃であるような気がしますが、
これはこれで僕という人間の世間様とのかかわり方の
アレゴリーであるような気もしないではない。
先週の土日は人語を発する機会がほんとうに少なくて、
週明け出社すると発声するために必要な筋肉が
錆付いてるように感じたものなのですが、それでも一応外出は試みていて、
大阪は心斎橋の市立近代美術館(仮)に行ってきました。
なぜ(仮)かというと、いずれは美術館が建つはずで、
コレクションも集めてはいるのですが、
肝心のハコをの予算がつかない、大阪市ですからね。
そんなわけで(仮)がついているわけなのですが、
(仮)なだけあって普通のオフィスビルの最上階の、
2フロアを毎回毎回展示会場に当てているのですが、
これがなかなか面白い、というのもまず展覧会の名前の付け方が
茶目っ気にあふれていることが多いのです。
大体展覧会のネーミングセンスというのは
猫も杓子もなくて、(ルーブルしかりオルセーしかり)
それでいて妙に知的なアフォリズムっぽい副題がついていることが
おおいなぁということを経験則的に感じているのですが、
市立近代美術館(仮)のネーミングセンス、これは何となく面白いといおうか、
企画会議をしている段階で冗談半分にいいだしっぺが言った言葉を
そのままお題目に仕立て上げているような感がしないでもない。
こないだいった展覧会は「今度は現代美術!?」(なんだその!?は)、
そしてこのたびのお題目は「ニッポンVS.美術」(いいねそのニッポンが)。
ご挨拶に展覧会の趣旨がちょろちょろっと。
明治から現代にいたるまでニッポンの作家たちが、
海外の「美術」に触れてそれをどういう形で作風に反映させてきたか
その一端をお見せします、一概にニッポンの「美術」といっても
案外一筋縄では行きませんぜお兄さん、みたいな事が書いてありました。
岡倉点心だフェノロサだの名前が申し訳程度に書かれた明治期から、
大正デモクラシーの時代の女性画家の作品を数点(めっちゃかっこよかった)、
戦後のアバンギャルドなグループの一連のわけわかんない作品がずらっとならんで、
堂本印象とか言う人の抽象っぽい作品を見終わったところで別室へ移動。
別室は会田誠とか村上隆とかもう完全にコンテンポラリーの作家の作品ばかりでした。
名前も絵につけられてた名前も忘れてしまったけど、
面白いなって思った女性作家の作品をご紹介。
葉っぱや花や、猪や狐の毛皮を乾燥させてこなごなにして、
その粉を使って粉々にする前の葉っぱや花、猪や狐を書いた作品。
猪とか狐とか近づいてみると画布に毛が残っています。
妙に忠実なのが、乾燥させることも粉々にすることもできなかった
動物の中身部分(絵に出てくる部分は目ですね)が空白になっていたこと。
猪を狩ってさばいて乾燥させて粉々にしてその現場に立ち会って、絵という形で再構成する。
自分がかかわる現実をいかに再構成するか、というのは
表現者にとってきっと大きなテーマなのでしょうが、
この作家さんの取った手段は短絡的な気もしますが、
逆にその短絡的さが僕的に妙にツボでした、そんな展覧会。

一週間色々ありましたがあっという間に過ぎ去ってそして週末。
今度は中ノ島にある国立国際美術館に行ってきました。
最近美術館だとかそういうところに行くことが多いような気がします。
何でだろうなぁと考えてみましたが、
僕は最近週末を一人で過ごすことが多いのです。
そうなったときにありがちには部屋に閉じこもってしまうのですが、
自室という限定された空間にいると、なんだか自分も非常に限定されたような感じがしてきます。
することといったら音楽を聞くか本を読むか、それぐらいしかなくなるわけなのですが、
これはこれで自分が平衡状態に落ち着くのを実感することができてなかなかよろしい。
ただ、平衡状態におちつくそこにはコミュニケーションがない。
もちろん僕の精神が活性化している状態であればたとえ自室に閉じこもっていても
例えば今僕の机の上に乗っている、電池の切れた腕時計を眺めることから、
腕時計は本来秒針が常に動いていて、60回針のうしろのぜんまいの歯がかみ合うと
今度は短針が、60回動いて円を描くことを前提としたその一回分をかちりと動く、
それがとまっている今の状況は果たして時計にとっては時は止まっているのかどうかなどと
考え始めるであろうから、これはこれで時計と僕との間にコミュニケーションが
成り立っているかのように感じることもあるかもしれませんが、
まぁまずぼうっとしているだけでしょう。
まわりがモノばかりな状況で能動的にハイになるのもしんどいのですが、
これが展覧会に行くとそうでもなくなる。
基本的に展覧会に行ったとして人としゃべるわけではないのですが、
そこには作家たちが何かしら世界から、現実から入力された項目が、
彼彼女の内部構造の中で変換されて出力された結果に立ち会うことができるわけで、
その生成の過程が否応なしに僕にインプットされ、僕にとってはそれが契機となって
何らかの現実とのコミットがなされる、そんな気がしているのですが、
ようするに、僕にとって展覧会という場に満ち満ちているように感じられる
ノンバーバルなコミュニケーション正体を探ろうとしていたら
わけのわからない文章になってしまいました。
本当は美術館の、僕に対して持つアフォーダンスについて
理知的に文章にまとめていくつもりにしていたのですが。
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by vanitas-vanitatum | 2006-11-19 12:09 | よしなしごと
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