バルト読んでます。
上の一節に深く感じ入りました。
いわく。
恋愛をする人は、周りの人間が、契約関係に結ばれた
実用的でかつ情動的な小体系に属していると感じるという。
しかし、自分だけはその体系に参与していない。
結果、恋する人は周りとの関係において、所在のなさを感じることになる。
恋する人は、周囲の人間が構築する構造にこそ、居住の可能性を感じるわけ。
「構造とは居住可能である。」
なんでこんな一節に惹かれたんだろう。
もちっと考えたいと思います。
構造の中で居住するということは、本質的に受動的であるということ。
きっとこのあたりがポイントになってくるかなぁ。