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「宿命の交わる城。」

アナグラム、をご存知だろうか。
例えば、evil はアナグラムによってliveとなる。

僕が敬愛する作家の一人であるマルグリット・ユルスナール、その筆名もアナグラムによって生まれた。彼女の本名は、クレイヤンクール。Crayencour。このスペルを組み替えると、Yourcenarの筆名となる。cが一文字足りないが、それはまぁご愛嬌。

つまるところアナグラムとは、言葉遊びの一種である。我々に与えられている、ある言葉がある。それを分解して、再構築して、願わくばまったく別の意味合いを持つ言葉に組み替えてみよう。

ウンベルト・エーコが「フーコーの振り子」で、アルファベットの替わりにアナグラムに用いた一単位は、歴史上の出来事であるといえるかもしれない。彼は、歴史上の出来事をパズルのように読み替えることによって、個々の人間の活動の集大成であり、それ自体は何も語りはしない歴史をして、偽りの物語を語らしめた。

僕は自らの人生を振り返るとき、それを物語として捉えることができる。一つ一つは何の意味も持ちはしない各々の事象がある配列に並び、そしてそれは僕という個人の物語になる。さて、この各々の事象を読み替える、(組み替える、ではない)ことによって、そこに全く別のある個人の物語を読み取ることは果たして可能であろうか?

ま、これは単なる戯言。

我々が語るとき、それはすべて失われてしまったものについてである。我々は、決して事物そのものをそのものとして語ることはできない。我々にできることはただ、言葉を組み替えることによって、ある事象を標示するのみである。まるで、森深い城の中に集う、言葉を失った会食者たちのように。言葉を失った彼らにできることは、テーブルの上に散らばった78枚のタロット・カードを並べ替え、自らの物語をカードの配列のうちに語らせるのみである。

イタロ・カルヴィーノは、ただタロット・カードを組み替えることによって、例えば道化をつれたブリテン王の、エルシノアの王子の、あるいはスコットランドの簒奪者の物語を標示しただけではない。四辺形の形を成す78枚のカードは、上から下へ、下から上へ、左から右へ、右から左へと読むたびに、違う物語が読み取れるように配置されてゆく。このアクロバテッィクな大技を成功させてしまっているところが、カルヴィーノが文学の魔術師と称されるゆえんである。

宿命の交わる城に集う言葉を失った会食者たち。これは、この世界にひしめく我々の最大公約数的な姿である。我々に共通して与えられている道具は、タロット・カードよりも幾分素数に近いといえる言葉であり、我々はそれを配列することによって自らの物語を他の人のそれと交わらせている。ただ、我々に語りうる、結末によって閉ざされた物語など存在していないといえるし、この世界は森深い古城と比べるには、あまりにも広大である。

ここで、B・S・ジョンソンという作家を紹介しよう、といっても僕も大学時代の先生が言及しているのを小耳に挟んだだけの作家である。彼の作品の中に「不運な人々」という作品がある。それは、27枚のカードからなる作品で、読み手が恣意的に、最初のものと最後のものを除いたカードを並び替えることができるものだそうだ。ここで言及しなければならないのは、カードを並び替えるたびにそこに新たな物語が生まれる、そういう文学的な実験を試みた作品ではない、という事実である。読者は、ただ一人の友人の死を、そしてその背後にいる無数の不運な人々の、ひっそりとした死をいたむことしか許されていない。

我々には25の階乗通りのカードの読み方が許されている。しかし我々の体験は、一通りだけしかない。




頑張ったなぁ、我ながら。
てかぐたぐたで意味わからんくてすまん、まともに読んでくれた人。

追記。

イタロ・カルヴィーノ「宿命の交わる城」を読んだ感想を書こうとした結果、こんな感じになりました。

ちなみにB・S・ジョンソンは、1973年に自殺を遂げているそうです。
W先生いわく、B・S・ジョンソンこそが「不運な人々」の一人に他ならない、との事。
彼の作品は英国で近年再評価の兆しが見られ、確かW先生も関わって、「不運な人々」の邦訳を出そうとしているとかしていないとか。
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by vanitas-vanitatum | 2005-04-30 23:03 |
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